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4月の終わりの猛省@名古屋 &ホントに旨いジンに出会ったの巻

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 ここのところ、奄美から半ば諦めの溜息が聞こえてきそうなほど、タイトルを書いては日付だけ死守する日々が続いていた。月の区切りに全て書こうと、只今、鋭意努力中。 まず4月20日の 「夢の続き@名古屋(隣人が)」 を加筆しました。赤文字以下が加筆部分です。続いて4月22日の 「地元のスポーツ@名古屋」 をタイトルだけでなく「本文」を書きました。4月24日は書き終えていたのでスルー。 4月26日の 「雑記@名古屋・・・朝までにタイトルすら直すかも」 はタイトルも直さず、その日に書いたかのような文体で「本文」を書きました。 4月28日の 「本当に酔っ払っている@京都」 も無事書き終えましたが、そこに登場する「酒」については今日のブログに書きます。 さぁ!ようやく追いついた感じです。 では、早速、ジンをご紹介しましょう! 絶対にハッシーもノンコも知らないヤツ! これ! マユが実家に差し入れてくれたジンで、ヤツの”お墨付き” これを作っているのは京都で有名なお麩のお店 「麩嘉」 さんが作っているらしい。 この赤いラベルは、マユ曰く「中に笹が入っている」らしく3種類ある内で「一番美味しい」とのこと。実家で夕食の際に、ロックで一口。 俺「!」・・・ホンマに美味い。 後味にお茶のような香りと味がする。それは「笹」の風味かと? それでいて日本のクラフトジンにありがちな主張が控えめ。口当たりも好き! 思いがけない美味さから、セイコさんだけでなくオカン・イクヨまで、ロックで一口。 流石に呑み慣れないのできつかったようだが、味に関する感想は同じだった。 「これは大事に呑もう」と思い、俺すらも「1杯」だけで止めて大切に呑むことに。 京都で封を切ると、速攻「お父さんに呑まさなきゃ」とオカンが瓶ごと仏壇に上げるが、それを阻止して無事名古屋に来た。 このジンを「1杯」で終えたものだから、その後は、同じジンでも、サントリーの「翠」に変え、同じようにロックで呑んでいたので、”撃沈の日曜日”となった次第。 マユが麩嘉さんと仕事でのお付き合いがあるから、このジンを知ることが出来た。 ジンに関する「まとめサイト」でもこの商品は見掛けない! みっけものでした!麩嘉さんのサイトで買えるようです! お知らせも兼ねて! サトル それと、懐かしいよ「ホウ酸団子」・・・ウチの町内会でもコロナ前までどこかで作って配られてい

ホウ酸団子@佐仁

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今朝の海 佐仁では毎年梅雨入り前に婦人会がホウ酸団子を作って各戸に配布する、という行事がある。 思えば、今の佐仁の家を前の家主さんの荷物ごと購入したから、購入後、家財整理をしていた時、やたらと干からびたホウ酸団子が大量に出てきてた。 そうやって毎年配られたてたんだねー、と住んでから気付いた。 そんなホウ酸団子を作るのは、前述通り婦人会の役割。 婦人会は毎年役員が変わるんだけど、今年の会長副会長さんは、どちらも普段は集落行事に参加していない人=日々の仕事に忙しい人。 現役で週5日働いているし、土日休みじゃないし、休みの日は家事で忙しいんだよ! という、とても普通な方々。 そんな人たちが突然ホウ酸団子作り&配布に直面する…。   今更、ホウ酸団子?  それを材料購入して作って配る?  貴重な休みをそんな事に使うなら、同じ効能を謳っている製品買って配れば? という至極まっとうな考えに及ぶわけです。 でも、なんだかんだ区長に言いくるめられ、そして古参の婦人会員からも明確な賛同を得られず、結局今年も例年通りのホウ酸団子となりました。 個人的には、佐仁の数々の行事が段々と時代にそぐわなくなって、実生活との軋轢が出ているよね、という瞬間が見れたのが良かった。 こうやって、ちょっとずつ何か変わっていく方向になるんだろうね。 今回は変わらなかったけど。 集会所で作業 皮剥き班 コネコネ班 更に皆でコネコネ 外に干されたタライ(個人持ち)たち 朝の8:30から開始、作り終えたのは9:30くらい。 そこから各班の班長さんが各戸に配ったり、空き家に撒いたり。 ノンコは今年班長さんだから、配布と空き家に撒き蒔きして回って10:30に終了。 ホウ酸団子、効果あるといいね。 夕方が干潮だから仕事帰りにリーフ釣り 足元に餌を落とすだけ カンモンハタとバラハタが釣れました 大量に採れている隠元豆を瓶詰め 畑のトマトとセロリ 隠元豆とイタリアントマトが最盛期。 ハッシー

本当に酔っ払っている@京都

 タイトルを入れたのが4月28日午後11時30分・・・電話で目が醒め、時計を見て驚き、寝落ちしていた場所に広げていたパソコンにタイトルを入力するのがやっとでした。 4月28日(日)午前6時 名古屋を車で出発。 前日の白寿のお祝いから戻ってきた後、テレビ本体でYouTubeを簡単に視聴できるように設定し始めたことが、また寝るのを遅くすることに・・・結局なんやかんやで午前2時30分。これは自業自得(笑)数時間の睡眠・・いや仮眠で京都に向かう。 この時間に出発したのは、ゴールデンウィークの渋滞を少しでも回避できるようにと、真夏日予報の京都で、少しでも涼しいうちに「タケノコ掘り」をするために、の2つの目的で。 午前8時半頃には京都の実家に到着。少し休憩した後、ウチ夫婦とオカン・イクヨ、タケノコ掘りと言えば「ヒラセ家」は欠かせないので、迎えに行き、桂の竹林に向かった。 そうです!大高緑地の”リベンジ”です!! 筍そのものは、獲れたら嬉しいが、獲れなかったとしても「静寂の中でのタケノコ掘り」をして、大高での悪夢を払拭したかったからなのです。そのためだけに京都に帰り、後期高齢者3名を連れ出した次第。 しかもセイコさんの風邪の具合によっては行けないこともあり得るので、「行きたい!行く!」の予告は数週間前からしていたが、「行きます!」の確定は3日前の木曜日! 何しろこちらの都合に引っ張り回しているのだ! その竹林には幾度か行っている。当時は区画に分けられ、それぞれの借主が整備していたしその作業に付き合っていた。今はオカン・イクヨ達は借りてはいないが、入って獲っても良いとの許可と「今年は不作かも?」の伝言を頂き、いざタケノコ掘りへ!! 車を停める場所すら鍵があるし、誰も停めていないので「静寂なタケノコ掘り」確定! 時期が遅い分、成長していたけど、結果、大高の時より大きめ、多めの収穫が! (※写真はセイコさんが撮っているはず・・・後での掲載) 2時間も居れば充分堪能、後期高齢者の皆さんを無理に付き合わせるのも申し訳ない! ・・・と言うことで午後、早々に実家に戻る。 ゴールデンウィークって曜日感覚を失う。そうだ!今日は日曜日だったんだ! それが分かったのは、娘・マユが実家に来られると電話してきた。 あいつが動けるのは「お店の定休日=日曜日」だけだから。 因みに、ゴールデンウィーク中も日曜日

ゴールデンウイーク@佐仁

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夕陽が綺麗すぎる 今日は元気に歩いていたシャア 気付けば今日あたりから世間ではゴールデンウイークに突入。 今の生活では、ゴールデンウイークで特に何が変わる訳でも無いから、突入後にようやくゴールデンウイークなんだねー、と気づくレベル。 それは我々の話だけで、佐仁にもいっぱい人がやってくる。 内地に散っている子どもたち孫たちが帰って来て、この間、佐仁の平均年齢が下がるはず。 そして、皆さん畑に駆り出されて、力仕事を任され、畑周りの整備が進むのだと想像している。 そんなゴールデンウイーク、特に予定無いなー、って思っていたけど、何気に今晩と5/5にLINE呑みがあるのです。 この予定があるってだけで、なんか勝手にゴールデンウイークっぽいな、と思ってしまった…。 全然ゴールデンウイークとは関係ないはずだけど。 という訳で、今日のブログは早々に切り上げ、今晩のLINE呑み(22時開始)に備える事にします。   順調に溜まってきたイタリアントマト ハッシー

雑記@名古屋・・・朝までにタイトルすら直すかも・・・

 恒例 金曜日。セイコさんの仕事は休みの日だが、この金曜日はチヅコ御母様のことでバタバタするので、結局は、本人曰く「休んだ気がしない日」だそうだ。 なぜ、こんな書き出しかというと、我が家の「夕食の在り方」を見直した方が良いのでは?と思っている。 午前中に通院~買い物、帰ってから買い物全てを整理して、一度帰宅。 それでも再度夕方に行って、なんやかんやの雑用、洗い物なども済ませ、雨戸を閉めて帰ってくるまでがルーティン。 その帰宅時間は午後10時前後。 我が家の夕食は、平日はほとんどが俺が担当。 独りで食べるのは気が進まないので、仕事をしながら、材料だけ準備して、セイコさんの顔を見てから調理し始める。 すると食べ始めは午後11時前。食べて11時半過ぎ! そこで思い出す!「わぁ~今日ブログの日だった!」 日付を確保するためにタイトルだけ投稿・・・ふ~っ。・・・ここのところこの連続。 食事しながらもそうだけど、あれこれウチ夫婦が会話できるのもそんなタイミングから・・・すると、アルコールも嵩んでくると続きを書くのを忘れている。 まぁここまではブログを書いていない言い訳かな? 結局セイコさんは寝るのが午前2時~3時。 睡眠時間が短いと、体調不良になりがちだし、今も先日の風邪を引きずっている。 良くなってはいるものの、耳が不調らしく自分自身も通院している。 また、特に明日(4月27日)はセイコさん側の集まりで「チヅコ御母様の白寿のお祝いの会」がある・・・やれ花束、やれプレゼント・・・細かくてもやらなきゃならないことは我が家にのし掛かるのが常。・・ホント、溜息もつきたくなる時もあるよね。 俺も感じることがあるくらいだから、セイコさんはもっとだろうし・・・ ・・・どうすれば毎日の時間の使い方が上手くなるのだろうか? そんな、ちょっと愚痴も混ぜての呟きでした。

フードロス@佐仁

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昨日の夕暮れ はて、ご指摘いただいた佐仁のフードロスの件。  「佐仁の方々の胃袋」 < 「佐仁の野菜等の出来高」 というよりも 「佐仁人とその親族、友人の方々の胃袋」 < 「佐仁の野菜等の出来高」 という感じなんです。 我々以外は、皆さん大体誰かにあげる為に作っている。 誰か、というのは上に書いた通り、離れた所に住んでいる家族や友人。 野菜に関して言えば、ほとんどが親族へ送る分となっていて、僅かに自分達で食べる分があるくらい。 その残りを我々が頂いている、という感じかと。 果物に関しては、親族に加え、友人とかも加わる。 特に柑橘系はお歳暮に使われている感がある。 ドラゴンフルーツ、マンゴー、西瓜あたりは、孫を呼び寄せる(喜ばせる)アイテムと化している。 そんな感じで、果物は野菜程、我々にはまわってきていない。 人に必ず届けなくてはいけない、という使命感から、多めに作っているのかな、と好意的に受け止める事も出来なくはないけど… いや、それにしてもいっぱい余ってますよね、という実感しかない。 そんな感じで今日もサトル兄から大量の玉葱がやってきた。 言い訳としては、この冬、サトル兄は肩の手術とその後のリハビリで2か月弱、鹿児島に上っていたから、想定より消費が少なかった、のかな? いやいや、ご本人も「作り過ぎた」と白状してたけど…。 ここの玉葱を全部持っていけ! という指示 畑にもまだまだ植わっているけどね ネコ車いっぱいの玉葱 可食部分の切り分け この後、子育てしている三家族にお裾分け うちは葉っぱの部分も青葱みたいに食べるよ! 見た目通り、味もまんま葱! 興味深いのが、佐仁の子育て世代の人たちは、70歳代の元気な畑作業人とあまり繋がっていない事。 だから、溢れている野菜へのアクセスが少なく、普通にスーパーで買っているみたい。 ノンコが佐仁校区バレーで繋がった子育て世代のお母さんたちに連絡して、玉葱欲しい人を募ってみた結果、三家族が引っかかった訳です。 新参者が佐仁人の世代間の橋渡し役をしている感じになっているのは、ちょっと嬉しい。 それだけ40~50歳代の人が少ない、って事なんだけどねー。 これを限界集落っていうんだろうなー。 ほんと、昨日のサトル兄ちゃんの書いた通り、10年後はどうなっているか楽しみだ。 安定の隠元豆 安定のイタリアントマト 豆とトマトが炒められた図

会わせたい人がいる・・・(苦笑)@名古屋

 今夜は、また前2回の書き損ねをフォローをしながら、今日のブログを先に書く。 その前に「佐仁のフードロス問題」を指摘。笑えるよ! そっちのフードロスとは 「佐仁の方々の胃袋」 < 「佐仁の野菜等の出来高」 だと思うのよ。 以前もこのブログで「ハッシー達は、毎日の頂き物を全部食べてるの?」って疑問を指摘したけど、10年後に同じ質問をした時に、どのように答えるのやら(笑) 昨日の夜、名古屋に住む仕事仲間から電話があった。 「明日15時空いてる?」俺「難しい・・・14時からzoomなので、」「そのzoomどれくらいかかる?」俺「まぁ・・・1時間かからないかな?イベントの打ち合わせだし・・・」 「じゃぁ大丈夫」俺「何が大丈夫?」「俺、今、福岡にいて、そこの人に会わせたいのよ!」 【ZOOMかよ!】思わず”さまぁ~ず三村”的ツッコミをした。・・・でも受けた。 14時からは慣れた相手ではあるが、京都を本拠としているので、細かいことは同じくzoomにて。普段なら悠長な会話もするのに、急に差し込まれたものがあるので、久々にソワソワする。 それでも悠に40分は会話して終える。 時間の違いで、それぞれの人と、(俺は)同じ場所で会話するのは疲れる。 結果から言うと、その次のzoomは、急に差し込まれたzoomが押したため、遅らせてもらった。・・・つまり、今日はzoom3連発が打ち合わせ。・・・次のzoomの相手が、急遽差し込んできた人とも知り合いだったためlineで事情を知らせることに・・・。 だけど、急遽、差し込まれただけのことを実感した! むしろ「会わせたい!」と言ってくれた人に感謝! 都合2時間近く(俺・新記録・・・だと思う)zoomで話し続けた。 恐らく”新記録”は「何も飲まないまま話し続ける」だとも思う。 ・・・その後、本来の予定されていたzoomに詫びながら入る。 いやぁ・・・良い出会いをしたと思う。 何んだか・・・(ちょっと感じていた最近の)スランプからも脱することが出来るかも? そんな日でした。 サトル

お手伝い@佐仁

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今朝の不思議な雲 昨日の釣り場チェック 今日の海チェック ジュンロウ兄が入院したことにより、ミッチャン姉、畑作業の戦力を失っている。 彼らの中でどのような役割分担があったか明確には不明ながら、機械を使う作業、力作業はジュンロウ兄が担っていたと思う。 具体的には、草刈機による草刈り、耕運機による畑の耕起、畝づくり、竹を採ってきて支柱立て、みたいな感じかな。 これら、全てをミッチャン姉はする気がなく、でも、今は夏野菜を植える時期だから、色々植えたい気持ちがフツフツとしてきているのが言動に溢れ出ている。 我々も手伝えることは手伝っているけど、以前から手伝っている田んぼとミカン畑の作業があるから、出来ることは限られていて、あまり戦力になれていないの現状。 という事で、ミッチャン姉は畑の見回りをしながら、身近にいる人たちに声を掛け、上の作業をしてもらって溜飲が下がっている。 そういえば、畑①のお向かいの畑の主も80歳代前半のご夫婦。 季節ごとに立派に野菜を植えていて、その準備は大体「ムコ」さんのお仕事らしい。 でも今回は都合が合わなかったらしく、近所の若者(61歳)にお願いしたそうな。 そんな感じで、動ける人が動けない人の畑を手伝っている。 それはそれで良い構図のようにも思える… けど、ミッチャン姉曰く、畑作業は好きだけど、食べるのは興味ない、との事。 畑①のお向かいさんも、今回、大量の大根が余ってお花畑になってた。 そのお隣も安定のお花畑状態(→野菜を収穫せずにそのまま花を咲かせた)だったし。 佐仁でもフードロス問題勃発中。 ちゅうか、野菜作る必要あるの? 我々的には、こうやって皆さんの動向を見て、10年、20年、30年先の状況を想像する材料を貰っているようなものだから、これを糧に、身の丈を意識した動きを考えていける良い機会になっている。 機械を使っても草刈り機くらいで収められる規模の畑で廻していきたいです。 ミッチャン姉からのお駄賃ヒキ! 昨日の収穫① 昨日の収穫② 昨日の収穫③ 昨日の収穫④とサトル兄畑の玉葱の葉 今日の収穫① 今日の収穫② ハッシー 

地元のスポーツ@名古屋

 名古屋の栄の真ん中に「ナディアパーク」という名古屋市も出資している、いわば官民で作った商業ビルがある。ハッシー・ノンコに分かりやすく言うなら「ロフト」が入っていたビル。 このビルは大まかに2棟あり、そのうち1棟は名古屋市が主となりホールなどを運営している。 しかし、財政的に行き詰まったのか?運営団体を解散、時同じくしてもう1棟の「ロフト」までが出て行くことに・・・ロフトは上から下の階まで全て借りていたので、出て行ったら蛻の殻状態。地元の住民によれば、公式発表が最近だっただけで数年前からその方向だった模様。 このビルの吹き抜けの「アトリウム」は、恒例の今年で5年ぶり14回目の開催となる「栄ミナミ音楽祭」の2番目に大きい会場であり、開催初年度から俺がずっと舞台監督・演出を行っている。 コロナで休止していた音楽祭を復活させるに当り、休止直前と同規模(20会場程度・のべ500組超のアーティスト)での開催は見送り、およそ半分の会場・アーティスト規模で開催する。 さて、ロフトが出て行ったそのビルに、新しいテナントとしてスポーツ用品店の「アルペン」が入り3月末にグランドオープンした。 念のための、会場の下見、新しいテナントへの挨拶などもあり伺うと、ロフト同様、上から下の階まで全てスポーツ用品店に変わっていた。 打ち合わせの主な目的は、当日の音量で揉めないための布石。 ・・・でも、そんな打ち合わせなんて「まぁ当日の音量を聞いてみて」となるのが常だが、やはりそんな反応。5分もあれば充分・・・ 持て余した時間は、店のコンセプトをインタビューしてみたり・・・ その中で面白かったのが、「愛知・名古屋は、全国的にハンドボールが盛んで、ハンドボール用品の品揃えは全国どこにも負けません(キリッ!)」 俺「・・・・はぁ・・・」・・・需要があるからそれだけの売り場面積を設けたんだろうし・・・ あぁぁぁぁ、改めて「知らないことだらけ」・・・確かに、ハンドボールの社会人チームが何チームもあることは知っていたが、抜きん出て盛んだったとは? その時に感じたことは「誰しもが知っている」とか「広く知られよう=認知度を高めよう」なんてことは、もう考えなくて良いのだと言うこと。 その分野やモノ・ヒトを好きな人が、好きな人同士、共同体を持っていれば良いと言うことを・・・スポーツですらそうなのだから、音楽なんてもっと

自分を見直す場所@ココ

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昨日の夕暮れ 今日の夕暮れ そうそう、サトル兄ちゃんが書いた通り、このブログは自分の考えをまとめる所、確認するところ、みたいな位置づけになっている気がする。 そして「交換日記形式」だから、書いている相手がサトル兄ちゃんとセイコ姉ちゃん、という感じで固定しているのも、考えをまとめやすい一因かと。 これが不特定多数に向けたブログだと、書く内容も分散して、こうも長く続いていないと思う。 改めて、楽しい場の提供、ありがとうございます。 さて、 4/18のブログ 、「 「余白」は、気持ちのゆとりのない仕事の数々 」 という所。 まさしく、奄美に来る前がそんな感じの日々だったねー。 それを踏まえて、なのか、その反省で、という事なのか、今の生活では何某かの「余裕」を残すようになった。 日々、色々したい事があって、でも色々間に合っていなくて、出来ていない。 けど、毎日夕食に2~3時間費やして、美味しい食事と酒をいただいている。 この夕食の時間を短縮して作業時間を増やす、という事も出来るけど、そこはしていない。 というか、する気も起きない?する考えもない?みたいな感じ。 ある瞬間頑張ってみたりもするけど、大体しっかり反動が出て、疲れて動けない日が来たり、不注意でクルマぶつけたり、とか、ろくな事がないから、結局、余裕をどこかに持っているのが良いよねー、となっている。 ただ、気になっているのが、今の生活を続けているとそのうち物理的に「カネ」の余裕がなくなる。 余裕がなくなる、じゃない、単に、金が無くなる。。。 金と共に余裕が無くなる、という感じかな。 その対処はしないとなー、と、のんびり考えてはいるけど…。 はてさて、どうなる事やら。 ミッチャン姉のヤンゴ畑に小豆が順調 その横に植えた落花生は腐ったから再度種まき バナナ葉は鳥除け 余った落花生をハンジャ畑に蒔いた うちの畑にも昨年取り損ねた落花生が芽を出した コレも コレも 大根、空心菜、イタリアントマト(昨日) 隠元豆 今日のイタリアントマト ハッシー

夢の続き@名古屋(隣人が・・・)

 このタイトル「夢の続き@名古屋(隣人が・・・)」を書いて気付いたことがある。 まさか、 一昨日のブログ を書き切れていなかったとは思わなかった。 ここから、その「一昨日のブログ」を加筆します。 只今、4月23日午前0時8分 (※22日のハッシーのブログを読まないまま、書いています) その理由は、読んでしまうと時空を超えたブログを再び書きそうだから。 (一昨日に・・・本来なら”今日”と書きたかったが)ある出来事があった。 それを記すためには、これをもう一度書いておきます。 我が家の周囲の土地・・・つまり、一昨年の年末来、我が家の区画は、角地である我が家を残して全ての土地が取り払われ、以前は4軒だった土地に6軒が建つことに。 その土地、6区画分のうち3軒は建っている。 それらの家どこにも車が停まっているので、暮らしている=引っ越してきたことが判る。 でも、誰が住んでいるかは、本当に分からない。 実は、今年はこの周辺の組長を仰せつかっている。・・・数年に一度のことだが、そんな巡り合わせ。・・・丁度、新年度に重なるように引っ越してこられた3軒に「回覧板を回すか?」「町会費をもらいに行くか?」も町内会の議題になった。 該当の組長である俺は、その会合で「それぞれのお宅に町内会に入るか尋ねても良いけど、無理強いはしたくない」とは答えた。・・・これが「イマドキらしい正解」かもしれないから。 でも、俺の本心は「(余程のことがない限り)町内会に入れ!」だ。 PTA会長時代に「PTAは任意組織ですよね」と加入したくない父兄がいた。それを説き伏せた経験がある。でも町内会に入るよう説き伏せる気持ちは失せている。 町内会に入らずとも、顔は知っておきたい。だって隣に住んでいる家族の顔を知らないのは俺(ら)にとっては「不気味」だ。 それにしても、引っ越してきて隣に誰が住んでいようが気にならない人達が確実に増えていることは事実だし、一軒家を買うということは、ある程度の期間、いや定住することが目的だろうに・・・そんなに人と関わり合うことが煩わしいと思うのかな? 不思議で仕方がない。 ・・・そんなことを思っていた矢先、インターホンが鳴った。 出てみると北側に越してきたご夫妻・・・しかも、明日4月21日に満1歳になるお子さんもいた。・・・子供がいる気配など微塵も感じなかっただけに・・・ ・・・やはり顔が

種からの苗づくり@佐仁

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昨日の夕陽 今日の散歩 我が家での家庭菜園の基本路線は自給だから、種から育つものを育てる方針。 あと、出来るだけ佐仁で採れたものから種を取って、それから育てるのが良いと思っている。 佐仁の環境で種まで作れた、という実績が遺伝子として種に残っているだろう、と信じているから。 以前、タカヤス兄からは、種採って、種から苗を作っているという話を聞いていた。 ミッチャン姉も、小豆や落花生、不断草なんかは種から育てている。 だから、種から育てるのはまあまあ普通かと思っていたのです。 最近、たまたまうちが種から苗作っている話をする機会が何度かあって、その度にやたらと驚かれたり、褒められたり。 その相手は、イサオさんだったり、佐仁の60代、50代の畑作業を始めたのが比較的最近な人々。 そんな皆さんは苗を購入しているそうな。 だから、佐仁の(年上だけど)若者に苗をあげたら喜ばれた。   想像するに、幼少期からの生活に農作業が入っている人、入っていない人の差かな、と。 今の70歳代の幼少期、佐仁は陸の孤島だったそうだから、当然、種とか苗とか自前で準備していたはず。 そもそも苗売ってなかっただろうし。 そんなのを見ていれば、種を取ることや、種から育てる事は、作業の流れの中に備わっているのでは、と想像。 60歳代の幼少期は、おそらく佐仁で紬バブルが起きていた頃だったはず。 そうなると農作業は片手間で、ほとんどが紬に関わる事や、その他、金銭を稼ぐ仕事にいそしんでいたのでは。 その人たちから、子供のころ農作業を手伝っていた、という話は聞かないし。 10歳違うだけで、随分と環境が違う。 あ、当然、80代イサオさんは超シチーボーイだから、農作業とは無縁だったと思われる。 名瀬の市街地ど真ん中に、畑は無いもんね。 定年後の楽しみに、農業を始めた。 お墓のある小宿の辺りでは畑はあっただろうから、農作業に慣れ親しむ程では無いにしろ、目にする機会はあって、土遊びに何かしらの感覚はあるんだろうけど。 80歳代の佐仁人とは次元が違うし、ある意味、佐仁の60歳代(若者)と似た感じ。 生活に根付いた農作業は種から育て、食べて、種採って、また次の年と続いていくもので。毎年少しずつ遺伝子が違う種が生まれて、それを廻していく事が、続けていける秘訣なのかなと。 趣味の農作業は苗から育てて、実を採って終わり。成果を楽しむ。