救急車に乗るの巻@名古屋

 まず・・・数日前の「教えを乞う@名古屋」の加筆をしました。
夕食づくりでPC前から離れたら、そのままでした(苦笑)それともう一つの理由があったから・・・それは最後までお読み下さい。

次に・・・ハッシーが書いてくれた「お風呂屋」の件に追記。

俺が通っていた小学校の学区には4軒のお風呂屋があった。
ハッシーが言うようにお風呂屋の息子と同級生ってレアって書いていたけど、その内3軒が同級生という更にレアな環境だったんだよ。

当時、幾ら学生の街・京都で風呂なしの下宿が多かったとはいえ、過当競争では?と思うくらいだったし、友達と風呂屋=銭湯に行くにしても、今日はニシカタん宅?キムラん宅?それともヨシモトんとこ?って具合にバランスを考慮していたもんだよ!

過当競争の一例としては、キムラん宅の「紫野温泉」は、サウナに特徴を持たせて(間違いなければ)「人間乾燥機」と言う名を付けて差別化を図っていた(笑)

さて、本題。
(決してネガティブじゃなく笑える話だから・・・オチは付けないけど)

昨日、月曜日、午後1時過ぎ。
我が家のインターホンが鳴り、チヅコ御母様のところに来てもらっているヘルパーさんが。
その方が衝撃的なことを言う。要約すると「(チヅコ御母様宅の)鍵が開いていない、新聞が取られていない、牛乳も取っていない・・・雨戸が閉まっている」

雨戸が閉まっている・・・それを先に言って欲しかった。
何かあったに決まっているやん!
合鍵を手にヘルパーさんと母宅へ・・・居間に姿はない。離れ側の寝室に行くが姿はない。呼び掛けても声はなく、電気を付ける・・・寝室ではなく、その奥の部屋で倒れていたのだ!

俺の声掛けに反応したので、えも言われぬ安堵感。

後で判ったことだが、離れの奥にあるトイレに行こうと思ったが、フラフラして倒れ込んだものの、誰にも倒れたことを伝えられない状況に陥ったようだ。

そりゃ「119」に電話したよ!・・・全てを落ち着いて伝え(ホント凄い)数分後には救急車が到着!
こんな日に限って「雨」しかも激しく降っている。消防隊員のハッシーが救急車まで詳しいかどうかは判らないけど、とにかく丁寧。ストレッチャー等に濡れないように準備している。1人の隊員は部屋に入り、母に毛布を掛け色々質問をする。

答えられた、反応があったことで意識がありと判断し、救急車へ・・・
「どなたが付いて行かれます?」・・・そりゃヘルパーさんではなく俺だろ。
「どうぞ!」って乗せられた救急車は暖かいを超えて熱いくらい。
後部の扉を閉めたら直ぐに出発すると思っていたら、更に色んな質問が母へ。

隊員「今日は何月何日ですか?」母(恐らく暖かくなってきて意識もハッキリしてきたのだろう)「2月・・・4日?5日?」隊員「大丈夫ですね」
次に、俺に向かって「お母さんの生年月日等を伺いたいのですが・・・」
母「・・・大正14年・・・」と喋り始める。

隊員が驚く。俺が生年月日や母宅の電話番号を伝える。
余談だが独り暮らしの電話番号を聞いて何の役に立つのだろう?と本音では思った。

暖かくなって意識がハッキリしたからなのか、ハッシー・ノンコも知っているチヅコ御母様の饒舌が始まる・・・俺は心の中で「(頼む!救急車の中なんだから・・・)」

動き始めて10分程度の搬送の中で、「私は、数年前に階段から落ちた時以外に病院に入院したことがない(自慢)」「今年の春には京都に行く(自慢・笑)」この話が数回ずつ繰り返される。

この話題を喋るキッカケは、母に質問をしていた隊員さんが「大正14年生まれ」と母が言ったことがキッカケで、自身のお祖母様が「92歳」で「認知症の症状」があることを話してくれたのだ・・・それに対して「私はそうではない!」と言いたげな答えが2つの自慢であった。(笑笑)

到着後、一応全身の検査をしてもらい、長時間寒いところで何も摂らずにいたための養生として点滴を受けて・・・笑・・・結果、入院もさせてもらえずに帰宅。
慌てて早退してきたセイコさんも苦笑。

更にその点滴終わりにセイコさんに言った言葉が「お腹空いたから喫茶店に行こう!」
この時点で午後5時。

(苦笑)さすがに、この提案はお断りした。

何しろ「教えを乞う@名古屋」で書いた企画書の仕上げが「今日」だったんだよ!!

サトル

落ち着いていたように振る舞っていても「焦り」があったようです。
救急車を呼ぶのに必死で母に毛布すら掛けなかったとか・・・救急車に乗る時に母の靴や杖とか忘れてきていたとか・・・まぁ・・・まさか即日退院とは思っていなかった節もあるけど(笑)

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