一昔前@佐仁?



「ひまわり弁当」の疑問。
なるほど、相変わらず面白い着眼点だよね。
唯一答えられそうなのが、金曜日休みの件。
昼しか営業していないから、どの平日を休んでも大して変わらないのでは?
というのが、自分的な回答。
そして、奄美では相変わらず土日が休みの人は少数派で、金曜日は休みの前の日、という内地でのイメージとは違うはず。
そして土曜日も平日的なお弁当需要があると思う。
あとの二つの疑問は…、ワカリマセン。

さて、最近地元の人から一昔前の笠利町だったり佐仁のことを聞いた。

その方の実家は赤木名で、そこそこ大きな事業をまわしていたそうで、家には色んな人が出入りをしていた。
八人兄弟の一人一人に子守が付いてるとか。紬の作業を手伝う人たちとか。ご飯時には三十人弱くらいのご飯を毎度用意していたそう。
その中にいつも夕食時に、家族の食卓よりは一段下の土間にいて、夕飯とお酒少々をもらって食べてた人がいたそう。

いわゆる奴隷で良いのだと思う。島では「家人(ヤンチュ)」という言い方をする。
養えないから子供をヤンチュに出す、とか、生計を立てられない人がヤンチュなって、お金のある家で衣食住の面倒を見てもらう代わりに、下働きをする、という感じみたい。
そんなヤンチュの名残?が60年前の赤木名にもまだあった、という話。
生活が出来ないくらいの貧しさ、それを養う金持ちって構造が結構最近まであったって事だよね。

あと、佐仁では剛毅な男性は正式な妻以外にも数人妾さんがいた、という話。
80歳代の、とあるお方も、奥さん以外に2人妾さんがいて、隣の敷地に住まわせていたそうな。
3家族、しかも妾さんの子供が、自分の子だったり、そうでなかったりでも、面倒見てたって。剛毅だね。
奥さんと妾さん二人、一緒に三人で買い物に行ってたよ。との事。
オープンだね。

そこで思い出したのが、色々と声を掛けてくれるT兄。
去年の八月踊りの後、酔っ払って、「S兄はワン(俺)の父ちゃんと腹違いの兄弟」と発言してた。
であれば、S兄はT兄の叔父さんという事になるし、叔父であれば、Sオジと呼んでいそうだけど、いつもS兄って呼んでいる。
なんかちょっと正式に叔父ではない感じが気になっていた。
今回話を聞いて、きっとS兄の母親かT兄のお父さんの母親のどっちかが妾さんなのかな?と想像できた。

田舎あるある、なんだろうけど、ここの身近にあった事で、でも今は既に無くなっている、もしくは見えにくくなっているけど、でもちゃんとある感じが、なんか不思議な感じなのでした。

なかなか手間取ったジープのバッテリー交換
離島生活の洗礼を受けた感じ

頻繁に供給されるチヨノ姉のハンダマ

昨日は快晴

今日はどんより

ハッシー

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