令和五年八月踊り~準備編@佐仁一区 …のはずが

昨日の夕陽

今日の夕陽


では時系列(笑)で 9/19のブログ、マモル兄ちゃんの話から。
どうやら10/20に奄美に来るようで、既にイサオさん、スエコさんは大口開けて待っているよ。
で、我が家のクルマ達は全てマニュアル(MT)です。オートマは無いけど大丈夫かなー?
貸し出しするのは当然問題ない、どころか喜んで。

次に昨日のブログについて、我が家の状況を。
既にお気づきの通り、我が家には食材が色々やってくるので、それに応じて料理が変わる。
だから、「食材+調理法=料理名」という感じで、それはまさしく中華料理のそれ。
中華料理も、一部の有名料理を除き、大体が「食材+調理法=料理名」がレストランのメニューに書いてある。

サトル兄ちゃんのブログを読んだり、他の人の話を聞いていると、
最初に作りたいメニュー(料理名)があり、それに基づいた食材を入手する、という流れが多いのだろうな、と思った。
スーパーマーケットという業態が常態化しているからこそ成り立つ。

我々が手に入れられる食材は、その時に採れる物しか無い。
そしてそれは延々とシーズン中続く物もあり、一瞬で終わるものもあり。
食材に応じて料理が変わる、というのは、より原始的なんだろう、と勝手に推測。
調理法は炒める、蒸す、煮る、揚げるくらい。
食材の組み合わせ、調理法の組み合わせ、これに調味料の組み合わせが重なると、どれくらいの数の料理になるのか。
サトル兄ちゃん計算してみて。
それに応じられる形で、定番酒を何種類か揃えている、という形式なのです。
酒がいっぱいあるってのは、全然原始的でないね。。。

そして、昨日ブログで書いてあった、八月踊りについて。
「宗教的」という表現だったけど、自分的には「慣習」とか「風習」という方がしっくり来るかなー。
まあ、結果的には同じような意味合いだけど。
もともと集落には「カミサマ」という人がいて、その人が集落の行事を牛耳っている。
だから「宗教的」ということで良いと思われる。

佐仁の八月踊りは彼岸から最初の「ひのえ(9/25)」と「ひのと(9/26)」の日がアラセツ(新節)で、「みずのえ(10/1)」と「みずのと(10/2)」がシバサシ(柴差)で、この4日間で実施。
もともと火伏のお祭りという位置づけで、八月踊りの太鼓の音で「厄払い」をして火事から家を守る、という事なんだそうだ。だから家々を回る。
という事で、平日とか休日とかは関係無し。暦が大事。
ちなみに、街中のイサオさん達の所は勤め人に配慮して土日開催です。

かつて佐仁の人々は基本農民であり漁民であり、自給自足の生活を送っていたし、その後も数十年前まで紬の生産が盛んだった所。
今でいう「勤め人」というのはほとんどおらず、働く日、働かない日は自由に決められたのです。
近所の人曰く、昔の佐仁の人は、働く日は根を詰めてしっかり働き、休むときはしっかり休み、祭りの日は全力で楽しんでいた、との事。
つまり、アラセツの2日間みっちり祭りではっちゃけて、4日間しっかり休憩。
そしてシバサシの2日間、またしっかりはっちゃけてたんだって。

今は、働いている世代は基本勤め人しかいないから、日程は変わらず平日・休日関係なく実施だけど、開始時間が18時からになっている。
かつては昼から深夜まで家回りしてたって。
幸か不幸か人も少なくなり、回る家も限定するようになって、今の形になっているみたい。
また更に人が減っているから、今の形でもかなり実施は厳しいと思われるけど、それは今年の状況を見て、来年修正されるんだろうと思う。

どういう経緯か知らないけど、佐仁の八月踊りは県の無形文化財に指定されている、ってのもあり、高齢の方々には随分な”一大イベント”なのは間違いない。
現役世代は、もともと数も少ないし、若い頃は、どうやら積極的に不参加だったような人が多く、高齢者の雰囲気に引っ張られる感じで「守らなきゃ」と思っている人はいるけど、体に染みついている感じがしない。
だから、今後、どうやって続けていくのか…
このままだと、ちょいと厳しい感じがするんだよなー。

という事で、本来、今日は「準備編」をお届け予定だったけど、準備は明日の当日の昼からとなったから、八月踊りについて聞いて理解した事を書いてみた。


コーイチ兄ちゃんから沖縄土産!

ジュンロウ兄畑のオクラと畑①の空心菜

畑①の向かいの畑の婆ちゃんから南瓜とドラゴンフルーツ

テルちゃん姉からローゼル

畑②の黒目豆

畑②のルッコラ(2nd シーズン)、オクラ&空心菜

何気に食材いっぱい。

ハッシー

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