the SECONDに気を取られていて@名古屋

今夜、放送されていた、新設されたお笑い賞レース。「the SECOND」
「M-1グランプリ」の出場条件が「結成15年目まで」なら、この賞レースは「結成15年以上」・・・1年重複するような気もするが・・・・

話は大きく逸れて・・・

最近のニュースで「吉本興業・大崎洋会長が退任されて、大阪万博の事業企画運営の共同座長に就任される」ことを知った。
ニュースを見た途端「仕事の総仕上げは万博なのかぁ・・・」なんて感じた。

以前、大阪にウチのゴゴ君が出演していた「~ハイヒールとつけまつげ」って舞台を観に来てくれたけど、その時、セイコさんと一緒に挨拶に行こうとしたら、セイコさんトイレで、結局一人で「お久しぶりです」って言いに行ったのが大崎さん。
まぁ、俺を名古屋に行かせた張本人です。

俺を名古屋に行かせた当時は、まだ肩書きは課長とあるものの、敏腕マネージャーでダウンタウンさんのチーフマネージャー他、the SECONDの司会をしていた東野幸治などの若手を「十把一絡げ」にしていた。

そんな方だから、名古屋に行く時には「Wコージ」(今田耕司・東野幸治)を俺に括り付け、手土産に「ダウンタウン」をチラチラ見せながら、見ず知らずの名古屋を渡っていった。

万博と言えば、2005年に愛知万博「愛・地球博」が開催された。

前年の2004年にいきなり大阪時代の先輩、構成作家の倉本美津留さんが電話をくれた。
・・・この方、当時は「ダウンタウンDX」と言う番組でダウンタウンさんの背後に象徴的なセットとしてあった「喋るポスト」の声役だったし、何より「M-1グランプリ」の生みの親だし、大崎会長の肝いりの企画だと傍らに先輩がいた。


倉本「お前、名古屋におるやろ!万博の仕事ってなんかない??」
先輩を色んな所に紹介し、サテライト会場で”万博を味わえる”何かをやっていた。

そんな先輩と一緒に企画し、実現した万博関連の企画があった。

開幕半年前イベントで「太陽の塔の目を光らせる」と言うもの。

倉本先輩のストーリーはこうだった。
「愛・地球博のマスコットキャラクターである、キッコロとモリゾーは太陽の塔の目から発せられた光線で光合成をして産まれたものです」・・・キャラクター設定の、その前を考え、いたって大真面目にプレゼンをした。・・・博覧会協会は圧倒されたのか?このプレゼンが採用された。

ウチの社名「SUN'S SONS」直訳すると「太陽の息子達」は

その倉本先輩と呑んでいて「お前、良いよなぁ~2回も万博が経験できて・・・」言われたこと・・・先輩、俺って京都生まれですけど・・・でも確かに「1970年・大阪万博」には行ったし、「愛・地球博」はBIE(=万博の総元締めの国際機関)のファイナルプレゼンテーションの台本を書いたし、携わった。・・・だから「SUN」は「太陽の塔」を意味している。

・・・万博、総合博は楽しい!

サトル

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