反省と・・・追悼・・・他@名古屋
「炎上」と言う単語が、他人の人生を左右するくらいの瞬間を「傍観するさま」として指すくらいの意味を持つようになった昨今。
一昨日(記録的には「昨日」だが)のブログには、意図せずとも炎上を誘発するような表現があったので【反省】しました。ただ、消去して書き直す「ことは」いや「ことが」誠実ではないので、不誠実な箇所に線を引いておきました。
これは「強調」ではなく、俺の【反省】です。
いくら、故・服部克久さんに好意を抱いていなくても、故・すぎやまこういちさんの息子さんに一度の対面で感じたことでも、それを主観で表現するには足りない部分が多すぎると思った次第です。
(23時25分ですが一度公開・・・一昨日を反省)
さて、【反省】の文章でも2名の故人が出て来ましたが・・・今日も「訃報」の継ぎ足し。
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多分、コロナの影響だと思う。
亡くなった時に発表せず「葬儀は近親者で済ませました」のような事後報告を聞くようになったのは・・・亡くなった方が著名な方であるほどネットだとか新聞で知ることが増えた。
例え、仕事上お目にかかっていても、それ以上のお構いはありません。
今から15年ほど前、名古屋に来られる度に、呼び出されて呑みに行く「先輩・知己」がいた。・・・しかも「今池・スナック」が条件で、店を決めないで、フラっと入ることが限定。同じバンドのドラムもご一緒に。結局3人で(笑笑)
その呼び出された先輩が亡くなったことを「葬儀済ませましたネットニュース」で知る。
ちょっと「思い出が深い」からもう一度、整理してから記します。
勢いだけで書けないので。
落ち着いたので書き進めます。
今回は、さすがにネットで記事を見つけて知ったけど、共通の友人(大先輩)に連絡。
先輩もネットで知ったようで・・・慌てて連絡したようで、まだ何も判らないって仰っていたが、陽気に「久しぶり」の話をしている感じではなかった。
連絡した先輩は、いわゆる同じ釜の飯を食うくらいの方だから、相当ショックだったんだろうな・・・
今後は、最期のお別れもままならない時代が当たり前になってくるのだろうなぁと思うと何かやり切れない寂しさがある。
思い出も多いだけに、クドクド書きそうだが、直前のブログの反省もあり、ここまでにしておきます。
合掌
サトル
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