昨日のことだから・・・@名古屋

 昨日のブログで一番気になったのは「(バラララッパパッパー)」と言う「ドラゴンクエスト」の(恐らく)【あの】フレーズだろうと言うカタカナの並び。

「ドラクエ」はファミコンこと「任天堂ファミリーコンピュータ」時代から生き続けるソフトだし、(当時・ファミコンの)カセットに映像はともかく、音楽を入れる容量の少なさから工夫されて録音ならぬ「格納」されていた音楽だし、特に今でも連綿と続く「主題=テーマフレーズ」だとか、ハッシーの言う「(バラララッパパッパー)」のようなジングルのような特徴的なものもソフトのタイトルを象徴しているから凄い。

今日はこれで思い出した話で・・・最後までこれで突っ切るかも・・・

「ドラゴンクエスト」の作曲者は「すぎやまこういち」さん・・・この方の息子さんと(名乗る?)人とフジテレビで会ったことがある。確か「ミュージックフェア」の収録現場でフジテレビの社員として会った思う。

「作曲家のご子息は作曲家になる」と思っていたのに、そうでは無かったのは、出会った中では杉山家の親子くらい。

今日のブログのタイトルに挙げた理由は、昨日、松本零士さんが亡くなったことが公表されたから。

松本零士さんの代表作「宇宙戦艦ヤマト」の音楽を担当されたのは「宮川泰」さん。
ご子息は「マツケンサンバ」等を作曲された宮川彬良さん・・・この方、「彬良」ではなく「晶」さんとして、なぜか関西で活動されていた。なんで出会ったんだろう?恐らく「呑み屋」での出会いだったと思う。

(書き始めたのは11時30分位だったのに公開するのが遅れた)・・・只今0時02分。ここで公開。

日本の音楽業界では歴史的な位置づけにある「服部家」
「服部良一」→「服部克久」→「服部隆之」と三代にわたって素晴らしい作曲家の家系。

ここでは「服部克久」さんとの”勝手な思い出”を・・・

大阪で「花博」が開かれた時に、会場のステージでテレビの収録(俺はフロアディレクター)を兼ねたライブが開かれた時に、司会が克久さん・・・メインゲストが、いわゆる”外タレ”(レゲエの)「サードワールド」だった。

テレビ用にインタビューを撮った時に、簡略すると「ここは花博?大麻はあるのか?」と言うような返答をした。テレビのインタビューでこんな返答をするくらいだから、日本での”営業”ステージもテキトー。だから舞台袖で怒った克久さんは「これだから【第三国人】(※当時でも差別用語)は!!!」と捨て台詞。亡くなった克久さんの名誉も何も・・・ホントに耳にした一言だから・・・むしろ「サードワールド=第三国人的」意味・意図は違うけど「上手い」と思ったから覚えていた。

お目にかかったことがない・歴史上の人物「服部良一」さん。そのお孫さんで、俺は、三谷映画はじめ彼が作るサウンドトラックは凄いと思う「服部隆之」さん。

やはり親の背中を見て育つものなのかなぁ??

おそらく「すぎやま・息子」さんと会った時は、克之さんが監修していたフジテレビ「ミュージックフェア」の現場だったと思う。

背中を忠実に見て育たなかったご子息が集まった”現場”に出くわしたのかな??(笑)


サトル

スエコ姉の「講話」についての詳細は改めて・・・・

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