やっぱりフリッパーズギター@名古屋

 今日は何もない(※京都ではマモルが帰って来たらしく、殆どマモルVSイクヨって環境だと思う)

音楽続きで言うけど「フリッパーズギター」って、当時の、何か知らんけど「フリッパーズギター」って(俺の中では)「塊」だと思っている。

「塊」とは【あのまま二人】が続くと思っていたので、あの(以下、加筆 '23 1/2)サウンドは、以降の小沢健二と小山田圭吾の2つに分かれるとは全く思っていなかった。

それくらいデビュー当時のサウンドは、新鮮且つ斬新で二人揃わないと産まれないものと勝手に「確信」していたのだ。

傾倒する余り、やれインタビューだ!やれ新曲発表のコンベンションだと押し掛け、画質は落ちるが当時のテレビディレクターが使える、唯一の機動的カメラ、その名も「S-VHS」で撮影していた。

そのテープは出てこなかったが、その頃に色々貰っていたVHSテープや宣材が、退去する一軒家の倉庫の掃除・片付けにより”発掘”された。年明けから再生し、デジタル保存出来るものは転用しようとしている。

話は戻るが、フリッパーズギターの解散は「新しもの好きタレント」今で言うところの「インフルエンサー」であった渡辺満里奈ちゃんを、両方が好きになったために音楽でも折り合いが付かなくなったとか??

確かに渡辺満里奈は、そういうところがあった!
フリッパーズギターのライブでも関係者席にいたし、それから数年後はウルフルズのライブの関係者席に故・大瀧詠一さんと一緒に観ていた。

俺は、ウルフルズのライブの際、渡辺満里奈より大瀧詠一さんに感動し、思わず「大瀧詠一さん、動いている!」って声を発し、レコード会社の関係者から注意を受けたのも良く覚えている。

本当に俺が12月29日にこのブログを書いていれば、丁度翌日30日が大瀧詠一さんの祥月命日だったのでタイムリーだったんだけどね・・・

サトル

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