素晴らしきかな!Japan Music Award @名古屋
1995年に、自分で企画を書いてそのまま番組化した「音楽」番組がある。
この番組を始めたのが「1995年」と明確に覚えているのは、番組の”ロケ”を始めた日が阪神大震災の日で、その”栄えある”初回ロケを中止し、東京と大阪他を行き来できないアーティストのフォローに回ったことを明確に覚えているからだ。
ロケで音楽番組をする。・・・それ相応の意識と覚悟で臨み番組化した。オレが番組に直接関わったのは2年足らずなのに、その番組は9年続いた。これは自画自賛するけど「絶対続けられる!」手法を、当時、見つけていた。・・・これは、その後の「スジナシ」を含め2026年になっても変わらない。(・・・むしろ、なぜ、オレの企画・演出手法を(他の同業者が)実現できないのか?が不思議)
この音楽番組でやりたかったことのキーワードは「レッドカーペット」だった。
なんか「面白いやん」って思った、どんな風であれレッドカーペットを歩かせる。
赤いパンチカーペット(糊が入っているから水分が加わると・・)で滑ろうが、それも(オレが考えた)音楽番組の行く末「グラミー賞」のようなことをやってみたかった約30年前。
そんな音楽番組を作る意思を持っていたオレ・・・・なのに、ここで、1つ、オチがある。
オレが「レッドカーペット」的、表彰を受けたのだ。
まぁまぁ・・権威ある賞ではないが、オレが書いた番組の視聴率が良いため、放映局の賞を「お手盛り」で受賞したのだ。
ちょっと余分なことを書くが、この受賞は当時オレが在籍していた「プロモーター会社」名義。だから、受賞理由に疑問を持つ当時の社長と、受賞を祝うためにわざわざテレビ局からゲストで呼ばれた(オレの高校生時代からからお付き合いのある)フォーク歌手・杉田二郎さん、二人から「オマエを高めるんやったら・・・」的捨て台詞があった(笑)・・・当時29歳。
その当時から付き合っているヤツがいる。名前はDAI。
今や、表題のイベントの幹事。
去年が初開催、タイトルのイベントが京都で開催されていた時、また、その映像を観たとき、ホント、やりたかった「レッドカーペット」くらい驚いた。・・・日本にも、こんなイベントができるのかと・・・
DAIの他にも、先輩や同い年がこのイベントにDAIと同じポジションで関わっている
今日はどうしてもDAIと相談したいことがあったので電話したら、知り合い全てが集まっていた会議終わりだった様子。
事情を知るDAIは、オレの相談そっちのけで、共通の知り合いを探して電話口に呼び出そうとしているが、見つからない・・・とにかくテンションが高い。
・・・そりゃ今週末に迫る、第二回のJapan Music Award。
主催者ですら意気高揚するのだろうな・・・
成功を期待して・・・そして、後日談も聞きたいし・・・来週、東京へ会いにいくこととなった。
サトル
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