午後6時から俺主催の呑み会・・・酔わない筈がない・・・だから@名古屋

タイトルだけ書いて日付稼ぎします。

 日曜日の我が家近辺、名古屋駅周辺までも飲食店はお休みが多い。
わざわざコロナを持ち出す必要は無いが、コロナ後に日曜定休が増えた気がする。
何より”予約なしでフラっと”とは絶対に出来なくなった。
予約なしで入れるお店は、行きたくない類の店なので予約が必須になった。
4人とは言え声を掛けているのは俺なので、初めての店を予約した。

今日の呑み会は毎年恒例で行っていたイベントで、コロナで数年行わなかったことを理由に一方的に”fire”になったスタッフの慰労会。うち1名は結果として俺が声を掛けたことで自身が不要になったことを知ったらしいし、未だ告げるべきスタッフからの連絡は無いようだ。
同じスタッフ間でも要・不要はキチッと伝えるべきだと痛感する。

いずれにしても、コロナの期間中一緒に仕事をしていないので、久し振り過ぎる面々と顔を合わせ、うち1名は10数年も現場では一緒になるのに、呑んだことがなかった。和太鼓一座の”頭”

それこそ話題は「コロナの間はどうだった?」となる。

ここで太鼓一座の彼から悲しい話が・・・・

その話にいく前に、その和太鼓のグループについて。
元々地元に伝わる和太鼓を進化させるために彼が奮起し、愛知どころか日本でも有名な和太鼓集団に育て上げた。地元の子供達も通い、その子供達の中から和太鼓の奏者を目指した、プロを目指したメンバー約10名が、和太鼓集団として演奏活動を行っていた。創設以来20年以上、地元に無くてはならないグループだ。

ところが、元々伝統芸能の保存会の延長で活動していたので、法人にしていなかったらしい。これによりコロナで活動が出来ない間、国他からの支援の枠組みからこぼれ落ちてしまったらしく、支援金も全く受け取れず、生活を優先させたメンバーの殆どが活動から離れてしまったという。

メンバーも戻ってきてくれた今も、太鼓だけの活動に不安があり、兼業プレイヤーばかりだと言う。専念できないと活動にも支障が出る上、ブランクがパフォーマンスの質に影響を及ぼしたとも言っていた。

まだコロナの影響が残っているところがあることを実感した。

一人が未だ連絡も来ないスタッフ。
もう一人が支援金を受け取れなかった和太鼓奏者。
残りの一人・・・・・・コイツ、確かに慰めたかったが、無類のワイン好きだった。

ウッ・・・予約を、個室を優先したために、初めての店でワインが豊富なことは来てから知った。時既に遅し。ソイツの不満を満たすように注文している。

他の3名と違い、そのイベントにスタッフとして残っている俺としてはごちそうすることは前提にしていた。結局1名1万オーバー(笑笑)

・・・話に夢中だったのと、4人目のソイツの注文が気になって、結局、酔えない夜でした。

サトル

そう言えばセイコさんからの電話って「何か欲しいものある?」電話??
俺に「聞いておけ!」って言われていたのに忘れてた!
・・・ところで何か欲しいものある??(・・・って遅い??)


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